24年まえのこと 全壊した喫茶店

阪神淡路大震災から24年、

ブログで紹介している喫茶店のたいていは被害を免れたお店が多く、中には震災の影響で移転されたところもあります。

母の喫茶店のあたりは被害の大きなところで、もちろんお店も全壊でした。

6時半オープンなので毎朝6時頃に母は家を出てお店に向かいます。サイフォンに火をつけ、お湯を沸かしたり、卵をゆでたり。

5時46分。もし地震がもっと遅ければ、母はお店の下敷きとなり、それだけではなく二次災害に巻き込まれたりこの世にはいなかったかもしれません。

そんな時に見るルミナリエの灯りは感慨深く、大変な勇気を与えてもらいました。

その後運良く喫茶店を再開することができまして、外観はワタシの定義とする「その場で30年以上経過している」昭和喫茶とは違うわけですが、ママさんはブランクがあったものの30年の経歴がありますので中身は昭和喫茶のスタイルだと思っております。

これからもせっかく地震を乗り越えることのできた、昭和な喫茶店にたくさん巡り合いたいと思います。